高齢出産母ちゃんの思いつき日記

Yahoo!ブログより、お引っ越ししてきました。

絶歌という本は・・・

ここ最近の日本は、なんだかやっぱり心配だ。
日本というか、日本に住む人たちが・・・とでも言おうか?
あたりまえ、当然と思えていたことを、思えなくなっている人たちが増えたのか?
それとも、昔からそういう人はいたのだけれど、表に出てこなかっただけなのか?

「絶歌」という本が出版された。
読んでいないけど、いや、読みたくもない。
この本が世に出るということが、不思議で仕方ない。
ネット上でも、いろいろな考えが出てきているけれど、私は、出版する本ではないと思う。

そのような本を見つけた時、興味をそそられるかもしれないけれど、
私が思うには 「普通の」「本当に普通の感覚を持っている人」は嫌悪するのではないだろうか?

私がその本の存在を知ったとき、真っ先に思ったことは「被害者の家族」の方たちのことだ。

もし、自分が「被害者の家族」の立場なら、とても許せないし、怒りがこみ上げ、平静を装えないと思う。
自分の家族が殺されたことを書かれ、公にされるなんて耐えられない。
命が奪われ、どんなに年月が過ぎても一生涯続くであろう苦しさや悲しさの中にいる被害者の家族にとって、
まるで傷口をさらに広げられ、自身も(心身ともに)殺められたような行為だと思う。

実際に被害者の方たちは、出版をとりやめてほしいと表明している。
当然だと思う。

言論や出版の自由が認められているとか、いろいろな意見があるけれど、
なんでもアリなんだろうか?

人の精神を傷つけるような事柄が載っていることでも、言論や出版の自由なんだっていえるのだろうか?


そして、この本の作者「元少年A」が、本当に書き、本当に自身が出版したいと出版社に持って行ったのなら
やはり彼は、人としての感覚がずれているか、理解できない「普通の子」ではなかったのだろう。
だからこそ、あのような犯罪を犯してしまったのだと思う。
そして、このように本を書き、出版していることもやっぱり普通の感覚ではない。
残念だけれど、彼は社会に適応できないだろうと感じる。

よく犯罪を犯した未成年の知人や近所の人が、インタビューで
「普通の子だった」とか「問題がなかった」なんて言うけれど、
それを聞いていて、いつも違和感があった。
「普通の子」は、そんなことはしない。
人を殺めるなんて、「普通」ではできないのだから。


私は、買った人・読んだ人をせめるつもりはない。
でも、出版社については軽蔑する。
百歩譲って、犯人がしたことを専門家や研究者が聞き取り、分析したことが本になるなら理解する。

何かをするとき、ちょっと考えてみる。
みんな、ひとり一人行動を起こす前に、
想像力をはたらかせてみる必要があるのではないかな?